岡山のワインショップ、無農薬・有機栽培(ビオロジック、ビオディナミ農法)のビオワインのみを取扱う「自然派ワインの専門店」です。

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プレヴナン物語

プレヴナン物語 - 38-

(先月号から続き)今年2月の東京訪問の夜、
本当は飲食店を何件か回る予定でしたが、
腰の痛みがありそれどころではありませんでした。
しかし、ラヴニールの大園社長から、たまたまその夜
開催されるイベントに誘われていたので、
知り合いのイベントになら参加出来ると思い
腰の痛い中、なんとか会場の飲食店まで辿り着きました。
カウンター席はいっぱいで、テーブル席が1つだけあり女性が2人で
座っている4名席のテーブルに相席させて頂きました。
その後、カップルでいらっしゃった男性の方が私の前に
座られたので、お話しをしてびっくり!
今まで私がフランスで生産者訪問をした際に、何度か
「丸山さんを知ってるか?」と聞かれたことがありました。
その丸山さんとは
「各地の自然派ワインの生産者を自転車で回った男」として有名で
ナント目の前の男性が、そのオザミトーキョーの丸山さんだったのです。
そして、ご一緒の女性は奥様で、当店の取引先の輸入業者の方でした。
このイベントの後、そこで知り合った数名で、腰の痛いのも忘れて
築地のお寿司屋さんに行き、丸山さんのなじみの職人さんの目の前の
カウンターでお寿司を頂くという、特別な夜となったのです。

(続く)

2017.5.1 山本和志

プレヴナン物語 - 37-

今年2月、ナチュレルモンの改装期間中に、今まで行きたかった飲食店や
ナチュレルモンで扱っている食材の生産者を訪問する計画を立てました。
行き先は、九州、東京、北海道、岩手。
しかし、出発の前日。今年から久しぶりに行き始めたテニススクールで、
腰を痛めてしまいました。長期休暇を取るので、睡眠時間も削って
がんばったのが響いたみたいで、久しぶりに腰が悪くなりました。
結局、九州に行く予定の2日間の計画は中止にしました。
その翌日の東京では、重要な訪問予定が2軒入っていたので、
少し無理をしてでも新幹線で東京に向かったのです。
実は今回の休暇中に、ナチュレルモンの「新メニューを作る」という
課題がありました。
何かヒントになればいいなぁと漠然と思っていました。
東京での1件目の訪問先は、今度フランス・スペインツアーにご一緒して頂く
輸入業者ラヴニールの社長 大園さんの事務所でした。
パリ エッフェル塔
大園さんとは以前にもお客様とのツアーでお世話になっており
今回も旅行のルートの提案をしてもらいました。
そして、次の訪問先は鹿島茂先生の事務所です。
6月4日の「アペリティフの日」に合わせて開催する
講演会のテーマについて、お話をしに行きました。
「アペリティフの日」は、ゆとりのあるフランスの
食習慣を楽しむイベントですが、講演の内容も食に
ちなんだテーマにしました。
私の興味の1870年代のパリの飲食店の事や
庶民の食について、色々質問をさせて頂きテーマを決めました。
テーマは、「フランスの国土と食文化」です。
今回の講演会でもお話をしていただけると思いますが、
パリの飲食店は、地方の人が集まって成り立ったそうで、
1870年代は、ちょうどアルザス地方のお料理が
パリに広まった時期だそうです。



庶民の食はお野菜中心で、お野菜を煮込んだ「ポトフ」も
よく食べられていたそうですが、今のようにお肉は
入っていなか ったそうです。カフェの話も。
興味のあるお話をたくさんして頂けると思いますので
ぜひ6月4日(日)は、鹿島先生の講演会にご参加くださいね。

(続く)

2017.4.06 山本和志

プレヴナン物語 - 36-

お陰様で「第3回おかやま元気な店Webコンテスト」の
大賞に選ばれました。
プレヴナンの今までの活動が評価された事は本当に嬉しいです。
謝辞を書きながら、改めて自分のお店の方向性を考えるきっかけになりました。
以下謝辞の抜粋です。

このたびは「第3回 おかやま元気な店 Web コンテスト」において・・・(省略)
さて、なぜ、当社が受賞させて頂いたかはわかりませんが、
受賞された皆さまも私も好きな事を仕事に出来ている
小売業の皆様ではないかなあと想像しています。

好きな仕事だからこそ、輝いていられるし元気でもいられます。
そして、ご商売をされている中で、何度も経営の危機や
色々な環境の変化への対応を求められたりで、本当に
ご苦労も多かったのではないでしょうか?

ですが、好きな事だから継続出来たのではないでしょうか?
今、夢を持ちづらい社会ではありますが、我々のような
元気なお店や夢を持っている店主が地域の模範になり、
スタッフや関係者の皆様にお互いにいい影響を
与え合えるような、そして若い人にも自分のしたい事を
仕事に出来る楽しさを伝えられるようになれば幸せです。

ある学生が夢を語ってくれました。
「私は、街の防災の事がしたいんです。」
「知的障害者が活躍できる場が欲しいです。」
街には色々な夢があっていいと思います。
我々小売業が、元気にがんばって地域を盛り上げていき、
地域ごと元気にしていき、皆の夢までも叶えてしまう、
そんな力さえあると信じています。(以下省略)


(続く)

2017.3.06 山本和志

プレヴナン物語 - 35-

運がよくなる事してますか?
プレヴナンがオープンした当初に聞かれた事が
ありましたが、その当時の私は特に何もしていませんでした。
「運とは何か」と考えた時に、時代の流れに乗れるか
どうかだったり、目の前で起きた事をチャンスと思って
掴めるかどうかだったりすると思っています。

僕は、人との出会いでは本当に運がよいなあと
思っています。
昨年、東京の「葡呑(ぶのん)」という、
自然派ワインが飲めるお店を訪問したときの事。

色々なワインを飲んで、2件目に行こうと思い
お店を出たときに、お店の外で飲んでいた方を
葡呑のスタッフさんから紹介してもらい、
名刺交換をしました。
その時に、「岡山?岡山に今度帰るKさんという人がいて、
自然派ワインが好きだからお店を紹介しておきますよ」
と言われました。
そして、数ヵ月後にそのKさんがなんと本当に
ナチュレルモンに来てくださったのです。
でもそれは、東京の知り合いから紹介されたのではなく、
自らネットで調べて来てくれたのです。

「もしかしてKさんですか? 岡山に帰って来られると
聞いてましたよ。」
『えー、誰からですか?』・・・

その後何度もナチュレルモンにお越し頂いています。
Kさんは、東京で超ナチュラルな自然派ワインも
たくさん飲まれていて、濁ったワインとか大好きだそうです。
Kさんはまだ20代と若いのですが、岡山の方なので、
その世代や芸術関係の方にも自然派ワインの良さを発信して、
新しい風をこの岡山に持ってきてくれています。

若い世代のアルコール離れがよく言われますが、
20代の方々には「ワインはあまり興味ないけど、
自然派ワインはかっこいい」で広めていきたいですね。

(続く)

2017.1.30 山本和志

プレヴナン物語 - 34-

西川沿いの道(プレヴナンやナチュレルモンの前の道)の
歩行者天国は私の夢でした。 その空間を使って、何か
イベントをしたい訳ではなくて、 緑と川のあるこの
西川緑道公園をより心地よい空間に するためには、
車が走っていない方がいいと思ったからです。

道路になっている空間は、車だけが使うためのもの
ではなくて、 場所によっては、歩行者を優先すべきところが
あっても よいと思っていました。

岡山市の庭園都市推進課の方とも歩行者天国が
したいという事を 以前から話していましたが、大森市長に
変わってからそれが現実にな ったのです!

そして一昨年、社会実験として西川沿いで歩行者天国を
試す事になり、 ご存知の通り、何度かの社会実験が
行われました。 私の夢が、少し叶ったのでした。



少しというのは、 私は以前から「毎週日曜日を歩行者天国に
したい」と言っていたので、 これは「はじめの一歩」でしか
なかったのです。 さらに岡山市の担当の方からは、
歩行者天国 を継続するためには岡山市が中心ではなくて、
実行委員会形式に変更していき たいという要望が出ていました。

そのためのワークショップを昨年何度か開催し、
ついに2017年1月5日に歩行者天国の実行委員会が
発足したのです。

そして推薦を受けて、私が初代の歩行者天国の実行委員長に なりました。
実行委員長になったからには、この空間をもっともっと活かし、 西川の魅力を
どんどん発信していきたいと思います。

(続く)

2017.1.10 山本和志

プレヴナン物語 - 33-

11年フランスに行った時、将来の飲食店の参考に
なればと思い色々な飲食店をまわりました。
あるお店で、おどろいた事がありました。 「ローズ」という
イタリアンレストランに行った時の事。
そのお店も他のお店と同様に、お店の前にテーブルが並んでいて
外のテーブルはお客様でいっぱいでした。
お店の店員さんに、席が空いてるかと聞いたところ
「いっぱいです」というような返事でした。
しかし、お店の中を覗いたら、たくさんの席があるのに
ほとんど人がいません!
私たちが「なかのテーブルで」というと、店員さんは
驚いた表情で、 「中でいいんですか?」と言って、
中のテーブル席に案内してくれました。
外の風にあたり開放的な空間で食事を楽しむという事は
私が思った以上にフランス人には心地よい事なんだなあと
思いました。



そういえば、フランスにプチ留学でホームステイしたお家でも
夕食は外のテラス席でした。
来年早々には、ナチュレルモンにもオープンテラス席を設けて
外で飲食を楽しめるように改装したいと思っています。
そして、将来西川沿いのお店がフランスで見たような外に
テーブルがたくさん並んでいるようなエリアになればいいなあと
思っています。
そして、そんな夢も叶うのではないかと思う小さな流れが・・・

(続く)

2016.12.08 山本和志

プレヴナン物語 - 32-

小学校の時に、よく姉にいじめられたのを覚えています。
兄弟げんかは、本当によくしました。(笑)
大人になってそれぞれ家庭を持つようになってからは
あまり会う機会もなくなっていましたが、僕がハレノミーノの
活動やワインの事でマスコミ等でとりあげられるととても喜んでくれました。

マスコミの中でも特に、RSKの国司さんには、街での私たちの活動を
理解してくださり、番組にもたくさん出演させて頂いていました。
ある日、姉が国司さんとデパートかどこかでバッタリお会いしたみたいで、
「弟がいつもお世話になっています」と挨拶をしたそうです。

それを国司さんから聞いて、なんかちょっと恥ずかしいなあと
思ったりもしました。
でも、自分の事のように思ってくれて本当に嬉しかったです。
姉は、精神的な病気と闘っていましたが、2年前に残念ながら・・・。

何も出来なかった事が本当に無念で、自分の料理で癒して
あげたかったなぁと思うのでした。

その後、医療と食を結び付けたいという思いからスタッフの
小笹の協力で「みんくるカフェ@ナチュレルモン」を
立ち上げました。

ナチュレルモンで2ヶ月に1度、日曜の昼に
医療関係の方をお招きしておやつとお茶を飲みながら、
お話を聞いたり、参加者の皆さんで話をしたりして
楽しんでみましたが、1年経ってスタイルを変えようと
思っていたときに、姫路のみんくるカフェに小笹と私
で参加をしてみました。 その時に、私の座っていた同じ
テーブルの参加者の方が(飲食店でされているのなら)
ワインを飲みながら夜に開催する「みんくる」をしてはどうか、
というアイデアを頂きました。
それが、みんくるナイトカフェです!

食事やワインを飲みながら、どなたでも気軽に医療の事や
健康の事について知っていただけるイベントです。
今回で3回目になります。
ぜひご参加をお願いします。

私は医療関係者ではありませんので何も出来ませんが
ただ出来るとすれば、姉や姉と同じような方を少しでも
癒せるような料理を提供することだと思っています。
それが、自分の夢とつながって行けば本当に幸せです。

(続く)

2016.11.08 山本和志

プレヴナン物語 - 31-

自分の夢が1870年代のパリをイメージして
いるため具体的なイメージが自分でも持ちづらく
その当時の生活様式や食べ物等を色々な本で
探しているときに、その時代にとても詳しい方が
いらっしゃることを知りました。
フランス文学者で明治大学の教授もされている
鹿島茂さんという方で、19世紀のパリについて
色々と本を書かれています。
まさしく、私のテーマに沿った人がいる事を知り
どうにかしてお会いしたくなりました。
お手紙を明治大学に送ったり電話したりと色々しましたが
結局連絡が取れませんでした。

そんなある日、インターネットで調べていると
東京都の練馬区立美術館で、「鹿島茂コレクション2 
バルビエ×ラブルール展」の開催に合わせて
鹿島茂さんの講演(抽選による)があることを知りました。
さっそく、講演会に応募し、抽選の結果当選し
参加できることになったのです。
2012年5月の事です。
少しだけ講演の前にお話をする事が出来たのですが
私が望んでいるような飲食店の監修ということは
お仕事の対象でないため、困惑されているようでした。
でも、その後のサイン会の時に、参考になると思うからと言って
八王子夢美術館で開催されている
「陶酔のパリ・モンマルトル 1880〜1910」展覧会を
ご紹介して下さり、早速その足で展覧会を見に行きました。



その後、鹿島先生とはお会いする機会もなかったのですが
つい先日、鹿島先生のお名前を山陽新聞で発見したのです!
大原美術館美術講座 「おかえり、フジタ《舞踏会の前》で藤田嗣治を語る」
の講座の1つに鹿島茂先生のお名前があったのです。
早速申し込みをして、なんと7月30、31日に
再び鹿島先生にお会いする事が出来たのです。
挨拶をさせて頂くと私の事を覚えて頂いていて、
とてもびっくりしました。
大原美術館には時々いらっしゃっているようで
とってもご縁を感じています。
また、何かの機会にナチュレルモンにもお越し
頂けたらなぁと願っています。


(続く)

2016.10.25 山本和志

プレヴナン物語 - 30-

2020年の春に「1870年代パリの雰囲気をもつ
食のテーマパークを造る」という、私の夢の具体的な
時期を決めるきっかけとなった、ある研修があります。
2015年の夏に参加した大阪での研修です。その中で、
自分の夢を語るという宿題がありました。
私は、その研修期間である60日間の間に、
70名程度の方に自分の夢を語りました。

色々なヒントやアドバイスを頂いた中に、 広島市の酒商山田の
山田社長から頂いたアドバイスがありました。
「1870年代の食のテーマーパークを造る前に
今の飲食店を改装して、その店だけで、まず
その雰囲気を出してみてはどうですか?」
私が夢を語っている中で、夢を具体的に描くことが
出来てない現状を察っしてのアドバイス
だったと思います。


確かに私の2020年の夢は、場所や規模が
あまりにも漠然としています。
それは、事が進むにつれて自然と見えてくるものだと
思っています。
なので、今は明確に答えられません。

その山田さんのアドバイスで、現実的な
次の一歩が見えてきたので、とってもあり
がたかったです。
そして、今2017年の5月の改装に向けて
建築デザインの会社をされているある方

との毎月1回のミーティングが始まりました!
色々アイデアが出る中で夢が広がります。
今よりももっとオープンな感じにする予定です。
そして、改装までにもショップと飲食店の連動を
強化していきたいと思っています。
夢を思っていると色々な人に出会えます。
先日も私の夢にとって重要なある方と再会できました。


(続く)

2016.09.27 山本和志

プレヴナン物語 - 29-

「ナチュレルモンのお店の西川緑道公園沿いの面は
ガラス張りになっていて、オープン当初、とくにガラスに
絵とかすりガラスのような処理もしていなかったので
外から丸見えでした。
お客様から落ち着かないとか言われることもありました。
何か少し目隠しになるものが欲しいなあと思っていましたが
西川の景色も楽しんでもらいたいので、どのようにしたらいいか
悩んでいました。

そんなある日、緑で少し隠れるといいなあと思い
お店の前にオリーブの樹を置く事にしたのです。
友達がオープンのお祝いをしてくれる事になっていたので
オリーブの樹を買ってもらいました。

6鉢のオリーブの樹は、当初葉も少なく、目隠しには
あまりなりませんでしたが、徐々に大きくなって、
今では十分役目を果たしてくれています。
そして今年、5鉢にオリーブの実がなったのです!

オープンして半年程経った頃だったと思いますが、
ワインが飲める店だということが外から見てすぐに
分かるようにワインの棚も作ることにしました。
スタッフの中川のお父さんが大工さんなので、作って
もらうことにしたのです。目隠しにもなるし、ディスプレイ
にもなるので、これは本当に良かったと思います。

さらに時々言われるのが「隣のショップとの壁を壊せないの?」
「ショップと繋がっていれば一体感が出るのに…」ということ。
しかし、残念ながら構造上、壁は壊せないのです。

何か一体感を出す方法がないものかと、ずっと考えていた
昨年のある日、税理士さんとプレヴナンでミーティングを
していた時に、「プレヴナンのガラス窓を壊して、
ドアを西川沿いに作る!」というアイデアがでました。
私には、今まで「壊す」という発想がなかったので衝撃的でした。
これをする事により、入口が隣同士になり一体感も出ますし
今以上にショップの存在がアピール出来ると思ったのです。

とはいうものの、資金も掛かることですし、なかなかすぐには
実行できないでいました。

そんなある日、商工会議所の方から補助金を利用できることを
教えてもらい応募する事にしたのです。
色々と仕事の重なる中、徹夜で書類を完成させました。
そしてこの度、ラッキーな事にこの小規模事業者持続化補助金の
申請が通り、それを活用して、早速この8月には
ドアを作ることが出来そうなのです!

もうすぐ、新しい装いのプレヴナンが披露出来ると思います。

(続く)

2016.08.22 山本和志

プレヴナン物語 - 28-

「ナチュレルモン」の名前の由来について少し
お話ししたいと思います。
実はプレヴナンがオープンして約2年位の頃、
プレヴナンの扱うメイン生産者の一人マルク・テンペ氏に
来店していただいた際、テンペさんに
「将来的には自然派ワインの飲める飲食店も
オープンするつもりなんだけど、何かいい名前はないか?」
という話をしたところ、テンペさん曰く
、 「地元アルザスには 『ナチュレルモン・ヴァン』 という名の
自然派ワインのグループがある」ということを教えてくれました。
そして「ナチュレルモン」とは「自然体とか自然のまま」
という意味だと知り「これはピッタリだ!」
と思ったのです。
私たちには、ナチュラルなワインを扱い続けて、
いつしか体で感じるようになってきたことがあります。
それは、自然なワインが体に優しいことや、
ワインが生き生きしていて、飲むと元気になるということ。
そして、これはワインだけでなく、食材にも同じことが
言えると思ったのです。
ですから、ナチュレルモンでは、この自然な食材の
素晴らしさと自然なワインのおいしさを、生産者の紹介と
一緒に伝えていきたいのです。
ナチュレルモンのオープン当初は、お野菜と
チーズだけでしたが、ジビエ(野生の鳥獣の肉)も
自然なものという考えで、野生の猪と鹿肉で作られた
ソーセージや鹿肉のローストなども提供し始めました。
あと、パンも自家製で作るようになったのですが、
これも徐々に自然にこだわって行きました。
今では、原料に国産有機の小麦100%と塩と水だけの
本当にシンプルなパンを出すようになりました。
私には将来の夢があって、それはこのような自然な
レストラン、カフェ、パン屋、ケーキ屋、食料品店を
増やして、街のようにしていくことです。


(続く)

2016.07.12 山本和志

プレヴナン物語 - 27-

2014年に企画した「隣人祭り」では、地域の方と交流を
図る為に、巻き寿司を作るイベントをすることにしていました。
その巻き寿司を一緒に作ってもらえる方を探していた時に
「いち」の河上直美さんから、同じ会社に所属している
フードコーディネーターの木内さんを紹介してもらいました。

そして、そのイベントのあと、ナチュレルモンのお手伝いを
木内さんにお願いしたところ、なんと、引き受けてくれたのです。
そうして、本当に運良くオープンに向けて一気に準備を進めたのでした。

オープンは、6月10日。イベントから1週間しかなく
疲れた私に襲い掛かってきたのは、プレッシャーでした。
そして、慣れない事ばかりで、オープンしていきなり
ぎっくり腰になってしまったのです。
ぎっくり腰
私の経営理念には「新しいオアシスの創造」というのがあります。
そこには、「癒しの空間と笑顔のあふれる場」の提供をしたいという
想いが含まれています。
そんな願いが今、ひとつひとつ叶っていっています。
それも皆様のおかげです。

ナチュレルモンも2周年になります。
これからもよろしくお願いいたします。

(続く)

2016.06.09 山本和志

プレヴナン物語 - 26-

勉強仲間で、出資者のSさんに話をしました。
「隣のお店借りれる事になったんです。
資金の事も考えないといけないんですけど・・・。」
『ほんならC銀紹介しようか?親しくしてるから。』
「いやいや、C銀なんて、私たちは相手して
くれませんよ。いいです。いいです。」
その場で一旦は、断ったものの、Sさんが
早速連絡してくださり、だめもとでC銀さんの
担当者の方にお会いする事になったのです。

私たちの会社は、Sさんのような優良企業で
もありませんし、抵当にいれる財産も何もない
ですし、100%無理だと思っていました。

C銀の担当の方とお話をしていて思ったの
ですが、とても親切に対応してくれました。
今まで、銀行とは仲良く出来なかった私です
が、初めて仲良く出来ると思ったのです。
話がスムーズに進み支店長さんともお話を
させて頂きました。

そして、私たちの想いに共感してくださり、
ついに融資が決定したのです。
妻と私は本当にびっくりしました。
実は、2年前からお店の設計図は、出資者
でもあるYさんに作って頂いていたのです
が、その後店舗が借りれない状態となり、
設計図も設計料も払えないまま保留にして
もらっていたのです。

融資が決定して、Yさんにご連絡し、お店の
デッサンも書いてもらいました。



私のテーマである1870年代のパリのレストランの
雰囲気までは、予算的に出せませんでしたが、
ちょっとパリにあるお店っぽい感じになりました。
木にこだわったとても暖かい21席のお店です。

新しいお店の店名は「ナチュレルモン」。
「自然のままに」という意味
にしました。ワインだけでなく、全ての食材に自然に
こだわったお店にしようと思ったからです。
メニューは、農家の松崎さんの無農薬野菜を使った
お料理が中心です。

しかし、お料理に不安があった私は、誰か一緒に
してくれる方を探していました。
しかし、なかなか見つからず、オープン1ヶ月前の
5月になってしまいました。

実は、5月31日、6月1日には、大きなイベントを
企画していて、飲食店のオープン準備どころでは
ありませんでした。

そのイベントは、「アペリティフの日」と「隣人祭り」で、
無謀にも連日開催のイベントだったのです!


(続く)

2016.05.12 山本和志

プレヴナン物語 - 25 -

「スタッフから言われた事に応えるために、
経営方針書を作りたいんですけど・・・」
お客様で、経営の勉強をされているKさんに、
カフェで色々と相談にのってもらいました。
その時の精神状態は本当に最悪で、不安の中
なんとかこの状況から抜け出すため無我夢中でした。

経営方針書の作り方を簡単に説明してもらいました。
そして、経営方針書を作るために、Kさんの所属している
岡山経営研究会に所属させて頂くことになりました。
そうこうしているうちに、改装工事も終わり、
2010年5月にナチュレルモン・ヴァンの
小さなカウンタースペースが完成しました。

そこで出すおつまみメニューに四苦八苦して
いたそんなある日、岡山経営研究会の仲間から言われた
「岡山には、おいしいチーズフォンデュが食べれるお店がない」
という言葉をヒントに、チーズフォンデュを出すことにしたのです。
早速、チーズの仕入先である北海道 共働学舎新得農場に相談し、
とにかく美味しいチーズフォンデュをサービスする方法を
研究しました。



チーズにも、使うワインにも、パンにもお野菜にも
こだわるそのチーズフォンデュは好評で1年後には
5席のカウンターでは少し手狭になってきたので
プレヴナンのショップのスペースを改装し、テーブル席を設けました。
狭いスペースでしたが、週末にはお客様でいっぱいになる事もありました。
その一方で、以前から隣のテナントが空いていたので
大家さんには借りたい旨を伝えていました。
が、事情あって誰にも貸せない状況が続いていました。
そして、2013年の10月頃だったと思います。
突然大家さんから連絡があったのです。
「隣のテナントを貸せれるようになったので、山本さんに一番に
連絡させて頂きました。どうされますか?」
というような内容だったのです。
とってもうれしかったのですが、断ろうと思いました。
なぜなら私たちには、改装出来る資金がありませんでしたし
10坪の飲食店を経営出来る自信もなかったからです。

しかし、出資者とのお約束もありましたし、ここで
借りないと後悔すると思い、その翌日、思い切って
「貸してください」とお願いしたのです。
しかし私たちには、そのための資金の目途も、
さらには本格的に飲食店をするノウハウも何もなかったのです。

(続く)

2016.04.19 山本和志

プレヴナン物語 - 24 -

税理士の先生から、出資者を募集してお金を
集めたお店があるということを教えていただき、
私たちも企画書を書いて、出資者を募集する
ことにしました。
この企画書には、私の将来の夢を書き、
そのための第一歩としての飲食スペース
を作るための費用が必要であることを書きました。
そして、2015年までには、10坪程度の飲食店を
オープンさせたいという夢を思い描いていました。
大口出資50万円、一般の出資5万円。
目標は、工事費の200万円です
。 私たちの事に興味を持っていただいて
いたお客様にお声掛けさせて頂き、出資を
お願いしたところ、200万円ものお金が集まったのです。

そして、その出資金をもとに工事を依頼しました。
しかし、大きな夢もある分不安もとても大きく、
どのような料理を作ればいいのかでも悩みました。
すごい肩こりになったのを覚えています。
本当に、毎日が不安で不安でしょうがなく、
改装するにあたって、スタッフをも
不安にしてしまい、あるスタッフが
強い口調で私に言いました。

「会社だったら、経営方針とか理念とかを示してください!
今年の方針は何ですか?」
この時期に株式会社にしたのですが、家族経営の延長で
仕事をしてきた私にとっては、考えてもいなかったことでした。

(続く)

2016.03.09 山本和志

プレヴナン物語 - 23 -

2010年頃、自分が何をしたいかを考える
時期がありました。
たぶん、2、3ヶ月悩んだと思います。
そんなある日、自分のしたいことのキーワードが
見つかったのです。
そのキーワードが「無農薬」と「ワイン」。
そして、この2つを上手く結びつけるアイデアを
考えていた時のこと、ちょうどお風呂から出るその瞬間に
アイデアが出てきたのです。
「無農薬の時代に戻ろう!」
今までのモヤモヤした感じがとってもクリアーになりました。
そのアイデアを紙に描きました。



それは、「1870年代のフランス パリの街を創る事」。
そこでは、癒しの空間と笑顔のあふれる場を提供します。
例えば、お客様同士、又はスタッフがお客様を癒す。
さらに、食べ物で人を癒す。
その食べ物は、有機・無農薬のもの。
その時代には、農薬がなかったので、全てが有機・無農薬の
食材なのです。
なぜ、1870年代かと言うと、私の好きな印象派の絵が
世に出てきたのがこの時代で、新しい文化が生まれた
エネルギッシュな時代。
私もこのエネルギーをもらいたいし、岡山にも
このエネルギーが欲しいと思ったのです。
(当店に飾ってあるルノワールの「舟遊びをする
人々の昼食」が描かれた時代です。
そこからヒントをもらっています。)
私のビジョンには、川が流れていて、樹が何本か立っていて、
ワインショップの隣には、飲食店があり、
その近くにパン屋とケーキ屋があります。
このビジョンに近いものを作るために、
まず飲食店をしたいと思いました。
この飲食店は、他の誰かにしてもらうのではなくて、
私たちがする!と決めたのでした。
まず、実験的にワインショップの事務スペース2坪を改装して
始める事にしました。
実は、妻に飲食店は任せるつもりだったのですが、
「私、料理は苦手だから」と言われ、私が中心で
することになったのです。
さて、改装するのには、費用がかかります。
実績の無い私たちには、銀行からの融資も受けられません。
しかし、ここで諦める事なく手段を探るのでした。

(続く)

2016.02.09 山本和志

プレヴナン物語 - 22 -

2011年3月11日、東日本大震災。
第1回「ハレノミーノ」開催の2日前の出来事でした。
実行委員の緊急ミーティング。テレビの映像に私たちは
衝撃を受けていました。
「やる」と「やめる」の意見が半分半分のなか、私が決断したのは、
今だからこそ「やる!」でした。
多くのイベントが中止を発表する中で、私は、このイベントの
開催の目的に立ち返ったのです。
このイベントの目的は、「西川周辺の飲食店の横の繋がりを作る」
という事でした。
だから、今だからこそ、この横の繋がりを作るべきだと思った
のです。
だだし、飲み歩くことが、支援に繋がるということにするため、
バラチケット1枚に付き、10円の義捐金を送ることにしました。
さらに、店舗には、義捐金の箱も置いてもらいました。
結局、イベントも無事出来て、その結果5万円程度の義捐金が集まり、
赤十字を通して被災地に届けることができました。
もし、イベントをしていなかったら、5万円の義捐金は生み出せません
でしたので、今でもこの判断は良かったなあと思っています。
最近、「このイベントをきっかけに、街で様々なイベントが開催される
ようになりましたね。」と、ある新聞記者の方から言われて、本当に
嬉しい思いです。
この同時期、私の中では、新たな計画を実行に移している時でした。

(続く)

2016.01.12 山本和志

プレヴナン物語 - 21 -

「岡山での飲み歩きイベントを開催するにあたって
山陽新聞に「ネーミング公募」のお知らせを載せて頂きました。
柏市の「ユルベルト」の寺嶋さんのアドバイスを
参考にしながら、私も一所懸命考えました。
岡山らしいネーミングがいいと思ったのと
前向きに(愚痴とか言って飲むのではなくて)
明るく、楽しく飲んでもらいたいという思いで
「ハレノミーじゃあ」(ハレの国で楽しく飲もう!)
というのを考え付きました。

しかし、うーん!「じゃあ」というのがイマイチ。
なかなかアイデアが出ないまま、もやもやした日が続きました。
ある日、横になって天井を見ながらぼーっと考えていると
天から降ってくるような感覚で「ノミーノ」を思いつきました。
イタリア語みたいで、なんだかいいなぁ。
これを思いついたときに、寺嶋さんじゃあないけど
僕も天才かと思いました(笑)
この「ハレノミーノ」を私も応募しました。
そして、10件程度集まったネーミングの中から
実行委員で検討した結果「ハレノミーノ」に決定したのです!
そうして、参加店舗も46店舗集まり
2011年3月13日、第一回目の開催に向けて段取を進めていきました。
しかし、開催日の二日前の重大なニュースで私たち実行委員は
大きな決断を迫られることになったのです。

(続く)

2015.012.10 山本和志

プレヴナン物語 - 20 -

新しいイベントに不安があったので、MJの記事
に載っていたバル街(函館発祥の飲み歩きのイベント)の
成功事例の千葉県柏市「ユルベルト」の視察に
行くことにしました。2010年11月3日の開催で
一番間近に開催されるバル街でした。
実行委員長の寺嶋さんに連絡が取れました。
当日、お会いして色々と教えて頂きたいとお願い
したのですが、忙しいので時間がとれないかも
しれないというお返事でした。
そして当日、寺嶋さんが経営している飲食店に
行って、ご挨拶しました。ラッキーなことに、
1時間程、時間を取って頂けました。
そして、全てのノウハウを教えてもらえる事になりました!
その時のお話の中で一番印象に残っているのが、
寺嶋さんのこのイベントに対する想いでした。
寺嶋さん自身、自分のお店が繁盛するということを
真剣に考えた時、ある結論に達したそうです。
「自分だけが繁盛するという事はありえない。
地域が栄えたときに、自分の店も栄える。
だから地域のためのイベントをするんです。」
その考えに私はとっても感銘を受けました。
あと、ネーミングについてもアドバイス頂きました。
「イベント名は面白い方がいいよ!僕がこの
『ユルベルト』(ベルトを緩めて飲もう。)という
名前を考えたんだけど、思いついたときに自分は
天才かと思った。」
寺嶋さんのお話の後、この「ユルベルト」を
思いっきり楽しんで、このイベントの面白さを
知ったのでした!
こうして、色々なノウハウを岡山に持ち帰る
事が出来ました。

(続く)

2015.11.12 山本和志

プレヴナン物語 - 19 -

「この西川でお祭りをしたいんだ。飲み歩きの
イベントで・・・。テレビで見たことがあるんだけど、
だれも詳しい事を知らなくて・・・。」
ということを誰となしに話していました。
当時、本町にあったカフェドブレルの店長岡本さんに話した時の事。
「それだったら池田さんなんかに言うといいじゃないですか?
八百屋の池田さん知りませんか?すごい方ですよ!」
その時の私は、その話をなんとなくしか聞いていませんでした。
そして、その2日後ぐらいにカフェドブレルに行った時の事。
岡本さんが、
「あそこにいらっしゃるのが池田さんです。紹介しますね。」
なんと、池田さんもお店に来て食事をしていたのです。
早速、私のしたい事を池田さんに話しました。
池田さんのお店池田促成青果さんは、この西川エリアで古くから
商売をされています。街の事をするのなら避けて通れないドンです。
それから数日たったある日のこと。池田さんが
「この前、言っとったのこれのことじゃない?」と
一枚の新聞(MJ)の記事を見せてくれました。
そこには「バル街」というイベント名で街作りをしている
成功事例が載っていたのです。
「池田さん、そうそう、これのことだよ!すごいねえ、この記事!」
初めてルールやイベント名を知ったのです。
それから、河上さん、池田さん、私でミーティングを
することにしました。
この出会いが西川の新しい流れのスタートとなるとは、
その時だれも予想してなかったことでしょう。
そして、この記事をもとにイベントを立ち上げることにしたのです。
飲み歩くなら春がいいだろうということで、2011年3月13日に
日程を決定しました。
あとは、参加店舗の募集です。これに威力を発揮したのが、
たくさんの飲食店とつながりのある池田さんだったのです。
しかし、店舗の反応は冷ややかで、
「うちはいいです。」
「2回目に参加します。」と、なかなか前に進みません。
ルールについての疑問も増してくる中、ある決断をするのでした。

(続く)

2015.09.10 山本和志

プレヴナン物語 - 18 -

タブララサ宛に書いた2010年の年賀状の最後に
サラサラと、「何かいっしょにしたいですね。」と
書いた覚えがあります。
そして、1月の初旬に理事長の河上さんから、
電話が掛かって来ました。
河上さん「何をいっしょにしましょう?」
私「え?!」
河上さん「だって、年賀状に書いてありますよ!!!」
ちょっと、びっくりしつつも一緒に何かをしたいと
思う気持ちもあったので、まずミーティグをすること
にしました。
その頃、神田 昌典さんの「全脳思考」のチャート
を書くのがマイブームだったので、そのチャート
を使ってミーティングをしました。
そのチャートは、河上さんを幸せにするためには、
どうするかを考えるものでした。
しかし、河上さんから出てきた言葉は、一切自分
の事ではなく、西川がよくなって欲しいということ、
西川はアーケードがないけれど、商店街のように
つながりが持てればいいという願いでした。
その話を聴いて、それを達成することを考えました。
一枚の紙に曲線を描きながら、120%幸せの河上
さんにすることを考えます。

上図のような曲線を書きます。
縦軸が幸せ度、横軸が時間を
示します。その曲線で急激に
あがる点がありました。
私:「この時期に何かありましたかねえ?」と
河上さんに質問している時に、はっと気がつきました。
西川を良くしたいと思っている人は、日頃は西川に
いない(タブララサのような)外部の方で、実際に
そこで商売をしている私たちのような人が、西川を
よくするための活動を何もしていないことに気づか
されたのです。
あの曲線は、西川で商売をしている私たちが、横の
つながりをもつために何かをした時に、急激に西川が
よくなることを示した線だったのです。
その時、本当に恥ずかしい思いになりました。
自分が何もしていなかったことを。
地域の者が立ち上がらない限り、
西川はよくならないとわかったものの、
何をすればいいのかのあてもありません。
私は西川の横の連携をとるためには「お祭り」をすれば、
勝手に連携がとれるとその時思いました。
しかし、自分のまわりには仲間がおらず、相談する人も
いませんでした。
そんな中、すごい人との出会いがあったのです。

(続く)

2015.08.19 山本和志

プレヴナン物語 - 17 -

駆け込んできた綺麗な女性二人から
「キャンドルナイトを5月の連休にしますのでご協賛を・・・。」
私は、見ず知らずの人からの訳が分からない案内に
警戒を持ちつつもとりあえず説明を聞くことにしました。
本町に出店するまでは西川に行く機会も少なかった私は
キャンドルナイトの事もほとんど知りませんでした。
しかし、その趣旨にも共感でき、私たちのお店のコンセプトとも
合致する感じだったので、そのイベントへの協賛と出店をすぐに決めました。
これが、タブララサとの運命の出会いでした。
出店は西川緑道公園内でのグラスワインの販売です。
アウトドアでのグラスワイン販売のノウハウもなく、
どのような感じの会かもわからない私たちでしたが、
なんとなくワクワクしていました。
そしてイベント当日、キャンドルで彩られた公園が
普段とはまったく違うとっても素晴らしい空間になっ
ていた事と、このイベントのために集まった人数の多さ、
とりわけ普段来ないような若いカップルの多さ
に、このイベントの凄さや魅力を感じました。
期待していた以上の売り上げもあり、何よりもこの素敵な空間で
心地よく仕事が出来たことで、すっかりタブララサのファンに
なってしまいました。
その翌年も声を掛けて頂き、出店させて頂くことになりました。
そのイベント終了後、私はこのタブララサの団体と
何かコラボ出来ないかなあと思うようになったのです。
それは、具体的な事ではなく、ただ何となく思う程度の
軽い気持ちで、アイデアもあるわけではなく、そんな思いも
時とともに忘れてしまっていました。
そしてその年末になり、タブララサあての年賀状に、
特に意味もなくさらさらと書いた1文が、まさかこんな事に
つながるとは、だれも予想の出来ない展開でした。


(続く)

2015.06.16 山本和志

プレヴナン物語 - 16 -

お店をオープンして、こんな事をよく聞かれたのを覚えています。
「あなたの趣味の店ですか?」
「どこの会社が運営しているのですか?」
「本店はどこですか?」
たぶん、こんな感じの専門店が岡山にはなかったので、
経営が成り立つわけないと心配してくれたのでしょう。

オープン前、取引のあったワイン輸入業者の担当者に、
今後の展開をお話ししたところ、
「ビオだけの店なんか、止めといた方がいいですよ...。
そんなお店全国的にもないでしょ。難しいと思いますよ。
うちは、そんなビオなんかちょっとしかやってへんし。」
そして、私たちの想いやお店のコンセプトが浸透して
いない中で来店された お客様との考えの違いや、求められて
いるものの違いから起こるミスマッチも多々あり、それを説明
するのに私も妻もけんか腰になったりすることもありました。
お客様「スーパーで、無添加のワインを飲んでおいしかったん
ですけど無添加のワインありますか?」
私『お客様、無添加の意味をご存知ですか?・・・・』
私たちの考えを主張するがあまり、お客様が好んで飲まれ
ているものまで否定することになっていました。
もちろん、お客様はいい顔をしませんし、もう2度と
お店には来ません。今思えば、私たちの心に全く余裕が
なくて、器が小さかったなあと反省するばかりです。
時間は掛かりましたが、徐々にお客様のどのような好みも
受け入れられるようになっていきました。
お客様のお話を聞き全て肯定した上で、求められた情報だけ
出すようにすることで、お互いにストレスが無くなっていったのです。
それと、ワイン通にとっては、とっても面白くない店でした。
なぜなら、自分の知ったワイン(ボルドーの格付けワインや
ブルゴーニュのドメーヌ物)がないので選ぶ基準や見る楽しみも無く
自分の持っている知識で店員とおしゃべりすることが出来ないからです。
そんな方の多くは何も買わずに、けげんな顔をされて立ち去っていかれました。
しかし、とってもゆっくりですが、口コミで私たちのコンセプトを理解して
頂ける方が増えていきました。
そんな中、4月のある昼間に、突風のように勢いよく飛び込んで来る二人の女性が
いました。私たちの今後の展開に、大きな影響を与える事件でした。


(続く)

2015.05.12 山本和志

プレヴナン物語 - 15 -

お金が無い私たちに、本当にありがたいことに、ワイン教室に
通っていらっしゃった生徒さんが、私たちに出資をして頂けることになりました。
そのお陰で、2008年3月に念願の西川沿いにプレヴナン
をオープンすることが出来たのです。本当に感謝しています。
私たちは、このショップを3つのコンセプトで始めようと思っていました。
それは、「人にやさしい、環境にやさしい、ワインにやさしい。」
フランスが好きだった私は、店名をフランス語にしたくて、
「やさしい」という意味のフランス語を調べました。
しかし、よく聞く単語でありふれた感じの言葉しか出てきません。
そこで、その頃から私が習っていたフランス語の先生の
西本先生に、「やさしい」という意味に似たフランス語が
ないか尋ねました。すると先生は、何個か考えてくださり
、紙に書いていただいた中に、「プレヴナン(思いやりのある)」
という言葉があったのです。私たちは『プレヴナン』という
響きがとても気に入り、先生も「少し硬い表現だけど、
いいんじゃないかしら」と言って下さったので、すぐ
『プレヴナン』に決めました!
ロゴマークは、ピノグラフィックスの吉城さんにお願いしました。
私たちの想いをお話しさせて頂き、何度も打合せして出来たロゴです。
これで、ショップの名前もロゴもいいのが出来ました!
いよいよ『プレヴナン』のオープンです。
しかし、楽な商売などないのは当然で色々な課題が発生し、
私たちは、これから困難な道をすすむことになるのでした。


(続く)

2015.04.09 山本和志

プレヴナン物語 - 14 -

西川緑道公園沿いのビルの5階にある飲食店に営業に行った私と
輸入業者の竹腰君は、飲食店のオーナーを待っている間、5階の
大きなガラスの窓から下を眺めていました。
『山本さん、岡山ってこんな素敵な所があるんですね。』
「ええっ・・・。」
『街の中に川と樹があるってすごいじゃあないですか!』
「そうなんですよね・・・。すごいんですよねえ・・・。」
今まで西川を全くといっていいほど意識してなかった私が、西川を
褒めてもらった事で、私も「西川は、すごい!」に変わったのです。
今度、移転するときは、自然派ワインをメインに扱いたかったので、
岡山市街でそれにぴったりの「自然のある大人なエリア」はここしか
無いと思いました。

そして、岡山市街の地図を見ながらエリアを明確に決めたものの
その当時希望のエリアに空きテナントは無く、色々と不動産屋さん
にも問い合わせをしましたが、全く物件はありませんでした。
私の移転計画について、無意識の内にしゃべっていたある日のこと。
本町のてんぷら屋の「一作」さんに配達に行きました。
「この辺でテナント探してるんですけど、なかなか無いですねえ。」
すると、作業をしながら一作のマスター太田さんが、
『あっ、そこから見える新しいビルがあろう。今度そこの一階のテナ
ントの地権者になるんよ。山本さんよかったら入るかなあ?』
「え! 本当ですか? そのビルの一階のテナントの地権者ですか? 貸して下さい!」
しかし、その当時、実はまったくお金も無く、お金を借りるあても無い私に
たとえ、本当に貸してもらえるとしても、実際には敷金・工事費を工面できる
めどは全くありませんでした。
それは2007年の事で、あと数ヶ月後の2008年2月にビルが完成する予定でした。


(続く)

2015.04.02 山本和志

プレヴナン物語 - 13 -

大和町でのインターネット販売はひどい生活で
毎日パソコンの前に座って作業をするのですが、
眠気防止にお菓子と缶コーヒーが常に脇にありました。
お陰で、お腹も出てきて82Kgまで太りました。
2007年ごろには、ネット販売特有のメールだけでのお客様
とのやりとりに疲れてきて、人と話しながら売ることに戻り
たい気持ちが強くなってきました。
そして、次の販売のスタイルや移転先を考えるように
なったのです。
ある日、京都の輸入業者ディオニーの営業担当と、岡山市
中心街の飲食店を回った時のこと。取引先の飲食店さんの
入っているビルの5階からの景色を眺めながら、その営業
担当の竹腰君の言った何でもない一言が、次の移転先を
決めるヒントになったのです。


(続く)

2015.03.26 山本和志

プレヴナン物語 - 12 -

住宅ローンが支払えなくなった私たちに、ほぼ毎日のように
数社の銀行から今後の支払の見通しについて電話での問い合わせを
受ける中、その対応に私は正直疲れていました。

そして、ある日のこと、子供を寝かせたあと家族会議を開きました。
そこで、ついついこの状況から逃れたいと思っていた私は、
自分でも望まぬ言葉を発してしまったのです。
「お店をやめることも考えた方がいい・・・。」
その言葉を私が言ったとたん、妻は怒ったような強い口調で言いました。
「私はお店をやめない!そんなために結婚したんじゃない!」
私はその発言にびっくりしました。私が家業で好きでやっていることが、
実はすでに妻自身のしたいことになっていたということを改めて知り、
うれしかったし恥ずかしくもあったのです。
今後どんな状況になるかもわからないけれど、妻はそれをも
乗り切る覚悟が出来ているようでした。

今まで、何を守ればいいか答えのないまま数ヶ月間悩んで
いました。「財産」「安定した生活」「家業」どれも大切で
捨て切れなかったのでした。
妻のその覚悟のおかげで、私は全てを失ってもどんな手段を
使ってでもワインショップを継続すればいいんだということに
気付かされ、目が覚めたのです。
その日から私はその事に集中できました。弁護士さんに相談したり
、 東京の事業再生のコンサルタントにアドバイスを求めにも行きました。
そして、2004年7月、家や土地を全て手放し、大和町に16坪の店舗を借りて
インターネット専門のワインショップとして再出発することが出来たのです。
インターネットの売上ではまだ食べて行く事もできない状況でしたが、
なぜか妻となら何とかなる気がしました。
住居は店舗の近くに一軒家を借りました。
その時、子供はまだ1歳と3歳でした。


(続く)

2015.03.19 山本和志

プレヴナン物語 - 11 -

2003年春自社輸入したマルタンさんとギヨさんのトー
タル600本程のワインがお店を埋め尽くしました。
さて、このワインをどこに売ろう?インターネットでの販
売を考え、自社のホームページを作ったもののアクセ
スはほとんどありませんでした。その頃、お店の売上も
伸びず資金繰りにも困っていました。知り合いにアル
バイトを紹介してもらい、早朝はスーパーにアルバイト
行き、昼寝をしてまた自分の店で働く生活をしていま
した。そんな生活も楽ではなく、次女の誕生とともにア
ルバイトに見切りをつけて辞めました。その数ヶ月間
で貯まったアルバイト代をもとに「楽天」に出店しまし
た。自社輸入したワインだけでは品数が少ないので、
色々な商品をUPしていきました。その頃に出会った
のが「古酒」でした。古い年数のワインがインターネッ
トでは誕生年のプレゼントとして需要があり、状態の
良い古酒を色々な輸入業者で仕入れては販売して
いました。そうして楽天で月商100万円の最低ライン
はクリアするようになりましたが、お店全体の売上は伸
びず、銀行からの取り立ても厳しくなる中、父親もノイ
ローゼ気味になり、みかねた私が経営を引き継ぐ事を
決断しました。しかし、私が引き継いでも経営状態は
良くなるわけではなく、自分の中で、お店をやめる事も
考え始めるのでした。


(続く)

2015.03.12 山本和志

プレヴナン物語 - 10 -

マルタンさんの奥さんは、私たちにワインを日本に輸入する
ための船会社を紹介してくれました。
「たぶん、ここなら大丈夫よ。ヒレブラントという会社。」
私たちは、日本に帰ってからヒレブラントの日本の支社に
早速連絡を取ってみました。そして見積もりも取ることが出来ました。
それと、通関の業務をしないといけないことがわかり、
代行してくれる業者をヒレブラントに紹介してもらいました。
その通関代行業者に電話してみたところ、
「輸入はやめなさい。もうからないよ。安いワインなんか
仕入れても採算があわないんだから。止めたほうがいい。
沢山の人がワインを輸入して失敗しているんだから。
で、どこの地域のワインを仕入れるの?」
大きなお世話と思いながら説明をします。
『ブルゴーニュです。もう、取引先にも訪問して来ましたし・・・』
「ブルゴーニュかあ。それならいいかもなあ。
もう、取引先も決まっているの...、でもやめといたほうが・・・」
中々OKを出さない。何とか代行業者を説き伏せて、通関を
お願いできることになりました。そこは大手の通関業者で、
私たちのような小さな商売は通常扱わないことを後から
知りました。ワインは、大阪港に届きます。
そこから、宅配便で当店まで送ってもらいました。
2生産者からトータル50ケースぐらい仕入れたと思います。
その頃には、伊福町の「やまもと酒店」のお店のスペースの半分がワインで
埋め尽くされていて、ワイン専門店へ変わっていこうとしていました。


(続く)

2015.03.05 山本和志

プレヴナン物語 - 9 -

生産者を訪問したことで、私たちが日常感じていなかった事を
知ることができました。
特にマルタン・デュフールさんを訪問した時のこと。
マルタンさんの最初の印象は「でかい!手はグローブのよう!」
長靴を履いて作業着で現れたのでした。
そう、彼はぶどう農家の人なんです。
ぶどう農家の人がワインを作っているのです。
ヤナさんがアドバイスしてくれた通りやっぱりスーツで
いかないのが正解でした。
ワインの樽を熟成している部屋を見せて頂いた後、
ワインの試飲を10種類ほどしました。
通訳を通してたった一言質問すると、熱心に20分くらい
答えを返してくれます。また、次の質問をすると20分・・・。
彼らは本当に情熱を傾けてワイン作りをしているという事が
肌で感じられたのです。
私たちはそれまでワインを商品としてしか扱っておらず、
情熱を持った生産者が一生懸命作っていることに考えが
及んでいないことに気づかされました。
それと、私のフランス人に対する勝手なイメージ
「寡黙なフランス人」が壊れ、 「情熱的なフランス人!」に
変わりました。私たち日本人がわざわざ訪ねてきたという事で、
どの生産者も親切にしてくれました。
結局2生産者のワインが気に入り、扱うことにしたものの、
日本への 輸入の仕方も知らない私たちでした。


(続く)

2015.02.26 山本和志

プレヴナン物語 - 8 -

ホテルのロビーで待ち合わせの約束をしていた通訳の
真鍋さんはすでに新聞を読みながら待っていました。
フランスでようやく日本語がしゃべれることに私と妻は
安心しました。
早速、レンタカーを借りて生産者の所に訪問です。真鍋
さんは私たちと同じく30代で四国の出身だそうで親近感
を持ちました。慣れない右側通行と、雪がぱらつく中で
の私の運転はドキドキものでした。途中カフェに寄った
時には、出るときに左側を走行してしまい、危うくトラック
と正面衝突するところでした。真鍋さんは、お昼にはレス
トランの予約も電話でしてくれました。1歳の子供がいる
のでお店に入っていいかどうか不安でしたが、お店の方
に聞いて下さいました。その時何回も出てくる言葉が今
も頭に残っています。「トレ トレ ジョンティ」(ご親切に
ありがとうございます。)
初めてのフランスの飲食店でのランチ。すごいボリューム
とっても大きなアップルパイでした。とても食べ切れま
せん。周りを見渡すと、他の席のお客さんはお昼から
ボトルでワインを飲んでいるではありませんか!
フランスすごい!!!
冬は日が短く、夕方から暗くなりました。夜はホテルの
部屋でごはんです。朝の市場(マルシェ)で買った大
きなチーズ、パン、デパートの惣菜を食べる毎日でし
た。2日目だったかの夜、生産者の訪問を終えもう真っ
暗の中、スーパーの中にあるパン屋さんでバケットを
買いました。子供のチャイルドシートの脇にバケットを
のせて出発。私たちが話をしていると「カリカリ」という
音がします。なんと1歳1ヶ月の長女がバケットを抱え
てかじっているではありませんか!
「お腹がすいたんだね。」「そんな固いのよく食べれる
なあ。」ちょっとしたエピソードに私たちは笑顔になり
ました。


(続く)

2015.02.19 山本和志

プレヴナン物語 - 7 -

フランスに着き、ブルゴーニュのディジョン行きのTGV
に乗るために駅に行きました。インターネットで予約した
チケットの受け取り方法がわからず時間が掛かってしま
い、受け取れたときには、出発まであとわずかの時間に
なっていました。しかし、私たちの乗るTGVのホームが
見つかりません。駅でお掃除をしている黒人の方に用
紙を見せて、この電車に乗りたいとアピールする・・・。
その人は「私は知らない」「私は知らない」と大声で叫び
ました。怖い思いと文化の違いを感じ、とてもショックを
受けました。時間のない中、ホームにはTGVに乗る人々
の波が一気に押し寄せ、焦っていた私は、長女を抱きか
かえていた妻とはぐれてしまいました。妻の名前を大声
で何度も呼びました。焦りと不安で一杯になりました。
ようやく会えた時には、電車の出発時間を過ぎていまし
た。駅の窓口で、チケットを変更してもらいました。
(フランス語をしゃべれない私は、気迫で伝えました!
会話は、気迫で何とかなる!)
ムが2ヶ所に分かれていることに気づきました。)
ディジョンに到着した時は、真っ暗でホテルまでの道
が分かりませんでした。
困っている私たちに、20代位の若い女性が親切に声
をかけてくれました。フランス語が分からない私たちに
「何語がしゃべれる?ドイツ語?イタリア語?スペイン
語?・・・。」私たちがだまっていると最後に「英語?」
「英語!」私たちが答えると、英語で道を教えてくれた
のです。
ホテルに無事着き、何も食べていなかった私たちは、
食事をもとめてコンビニを探そうと思いました。
しかし、フランスにコンビニは無く、びっくりしました。
その時間まで開いていた中国料理のような総菜屋さ
んで何点か買ってホテルで食べてびっくり「甘い!」
そう、それは全てお菓子だったのです。
初めてのフランスに私たちは疲れ果て、倒れこむよう
に眠りました。明日は、通訳の方とこのホテルで会う
約束をしています。

(続く)

2015.02.12 山本和志

プレヴナン物語 - 6 -

フランスの買い付けにはどこに行こう?
自分の中での選択肢は2つ、「ボルドー」か「ブルゴー
ニュ」。価格帯から考えると千円台からある「ボルドー」
かなあと思っていました。ボルドー行きに心が傾いて
いる時に、
妻「あなたの本当に行きたいのはどっちなん?」
私『ブルゴーニュ・・・。でも・・・。』
妻「それならブルゴーニュにすればいいが。価格帯な
んか考えずに。」
その言葉に後押しされて、ブルゴーニュ行きが決定し
ました。フランスワインのガイドブックで日本と取引が
無さそうな所を探し、8ヶ所くらいピックアップしました。
しかし、生産者を訪問したい旨をフランス語で書こう
と努力したもののうまく出来ませんでした。
ちょうどその頃、私のワイン教室に通っていたロシア人
女性のヤナさん(フランス人の母を持つ)がフランス語
でその文面を作ってくれたのです。
訪問の件をそれぞれの生産者にFAXで送り、結局4
生産者とアポが取れました。ヤナさんが現地での事も
心配してくれて、「現地で通訳できる学生のアルバイ
トを見つけた方がいい。私が現地の学校にアルバイト
探しのFAXを送ってあげるわ!」
それは出発の数日前、クリスマスの頃でした。
出発までに時間のない中、本当に運よくフランスの
ディジョンに住んでいる日本人の女性で、通訳をして
くれる方が見つかったのです。実は、そこの学校の生
徒さんではなく、学生さんから紹介をしてもらった事を
後で知りました。とにかくラッキーでした。
そして、私と妻と1歳1ヶ月の長女を抱えて2012年1月
の正月明けに、初めてのフランスに旅立ったのでした。
ブルゴーニュの北の街ディジョンに、インターネットで
予約したホテルまで、ガイドもいない私たちは不安と
期待でいっぱいでした。

(続く)

2015.02.05 山本和志

プレヴナン物語 - 5 -

すてーき西岡さん。30歳ちょっとと若かった私には
敷居の高いお店です。
こちらのオーナーの西岡さんよりお電話を頂き、私の
送ったワインのダイレクトメールに興味を持って頂き、
お話をすることになっていました。
お店に伺って色々なお話をさせて頂きました。ドイツ
で修行をされた経験のある西岡さんを前にしつつも、
資格を2つも持った私は、ワインの知識があることに
得意げだったと思います。
話が盛り上がり2時間ぐらいお話をして、帰る間際に
西岡さんが私に質問をされました。
「ところで、山本さんは、フランスに行ったことがありま
すか?」
「いやぁ・・・。ないんですよね。」という言葉を言うのが
とってもはずかしい気持ちでした。
現地も知らずにワインを売っていることが・・・。
それは、2001年10月の事でしたが、その足で駅前の
JTBに行きフランスのパンフレットを持って帰ったこと
を覚えています。
そして、翌年1月のお正月明けにフランスに行くこと
にしました。観光に行ってもしょうがないので、なんと
大胆にもワインの買い付けに行くことにしたのです。
新しい展開が始まりました。しかし、フランス語が話せ
ない私たちには...。

(続く)

2015.01.29 山本和志

プレヴナン物語 - 4 -

1998年にワインアドバイザーに合格。
その後、(1999年)平成11年11月11日、奉還町
のりぶら教室にて、ワイン教室を開催。お店から
5分ぐらいの出来たばかりの貸し教室に講座を
設けました。
この夏に知り合ったばかりの恭子さんも本人の
希望で実は生徒として参加していました。
(授業料もちゃんともらっていました。)
「シャブリ」ぐらいしか飲んだことがない、全然ワ
インのことは知らない彼女も、今ではステップ
アップクラスの先生です。
僕の友達も二人参加してくれて(ワインを勉強す
るというよりもワインを飲みに来ている感じでした
が・・・)、ある程度の人数でワイン教室をスタート
することができました。
使命感のような気持ちで始めたものの、生徒さ
んに教えるためには、毎回勉強をしなければな
らず、結果的にこのことが自分にとって一番の
勉強になったと思います。教えることを通して、
自分が一番教えてもらっているような感じで教室
を続けていきました。
と同時に、酒屋のワインの売場面積もどんどん
増えていったのです。
コンセイエになって、取材が何件かあるなかで、
RSKの番組にも出演させて頂きました。それを
見ていた天ぷら「一作」さんのご主人のお姉様
からお電話を頂き、お取引のお話になったので
す。ご主人の太田さんは、私にワイン選びも任
せてくださり、長いお付き合いが始まりました。
さらに、ワインの販路を広げるために飲食店へ
のダイレクトメールを送ることにしました。
100件ぐらいのお店を選んで送った中で、ある有
名なお店の方から「お話が聞きたい」とのお電話
が。そして、このお店の方の一言が、私の心に
大きく響いたのです。

(続く)

2015.01.22 山本和志

プレヴナン物語 - 3 -

1997年、ソムリエ試験3回目の試験勉強中の私に転機
が訪れた。「第2回 コンセイエ」の受験応募。
1996年から始まった制度らしく、まだ岡山県には1名しか
合格者がいませんでした。この試験は、フランス政府の
外郭団体ソペクサ主催のもので、フランスワインを助言
して販売出来るプロを試験で認定して、販売を支援す
る制度。試験の内容は、期間中自分で決めたテーマに
沿ってフランスワインのプロモーション活動を展開し、
内容をレポートにして報告するものでした。
全国で1年間に50名しか認定しない狭き門でしたが、
「数年かかっても取ろう!」と決意しました。その頃店内
に増え始めたフランスワインで(まだ、この頃には大手
メーカーのワインしか扱っていなかったけど)飾り付けを
しました。その他に飲食店でのワイン会、セミナー、試飲
会、ニュースレターを利用したアピール等色々しました。
自分一人で出来る試験でもなく、店を挙げての活動に
父や母にも店内の飾りつけ等を協力してもらいました。
そして、その年の年末、朝日新聞に合格者が発表され、
岡山県で2番目の合格者になったのです。この合格は
私の人生を決定するほどのものでした。
その後、新聞やテレビで私やお店が取り上げられ、
一気にお客様も増えて、ワインの専門家としての道を
歩む事になったのでした。

(続く)

2015.01.15 山本和志

プレヴナン物語 - 2 -

1995年、初めてワインアドバイザー(ソムリエ協会認定)
の試験に挑戦。その当時、試験を受けるためには講習
会を二日間大阪で受けなければいけませんでした。
しかし、講習を受けても全然理解できず、先生が言って
いるワインのダジャレさえも笑えず、ボルドーとブルゴー
ニュの違いも分からない私でした。もちろん1次試験は
不合格。2年目は、一次試験に合格するものの二次試
験のテイスティングのノウハウはありません。試験で緊
張して、ワインの味が分からず、試験が終わる頃には、
少し酔っていました。周りを見渡すと、なんと!ワインが
一切減っていません。そう、試験の時は、色と香りで
ぶどう品種を判断し、解答欄を埋めていくのがコツなの
です。3年目は一次試験免除。しかし、一次試験を受け
ていないせいかテンションも下がり、二次試験不合格。
そして、ようやく4年目に合格しました。自分がワインを
勉強したい時に、勉強するところが岡山にはなかった
ので、合格した時に「自分で教室を開こう!」と思った
のでした。このワインアドバイザーの試験に4年目で
合格する前の年、そう、試験3年目の1997年、大きな
転機が訪れます。

(続く)

2015.01.08 山本和志

プレヴナン物語 - 1 -

お陰様でもうすぐ6周年。色々な方に支えられて今が
あります。というわけで、私と恭子さんの歩んできた道
を連載していきたいと思います。

1992年、私は岡山理科大学卒業後すぐに実家の
「やまもと酒店」の手伝いを始めました。岡山済生会総
合病院と旧西警察署の間にあった普通の酒屋でした。
その当時、お酒の販売規制緩和の波が徐々に広がっ
てきていて、将来の酒屋に不安を感じていたので、専
門店化を考えるようになりました。まず、日本酒を色々
取扱い始め、「きき酒師」の資格も取得しました。その
後、少し日本酒への興味が薄れてきていた頃、ワイン
アドバイザーの資格(ソムリエ協会認定)を持ったメル
シャンの小野さんとの出会いがあったのです。「かっこ
いいなあ」と思った私は、資格に挑戦しようと思いまし
たが、全然ワインのことは分かりません。お店の棚にも
岡山産のワインが数本並んでいるだけの酒屋でした。

(続く)

2014.12.24 山本和志

 

ナチュレルモン

自然派ワインのお店
ブレヴナン

【営業時間】

火〜土 12時〜20時

日 16時〜19時

※ワイン教室開催日は、午後7時閉店。(カレンダー参照)

毎週月曜定休

〒700-0901
岡山県岡山市北区本町8-15
本町プラザ1F
TEL: 086-226-8341

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